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旅の発見スペシャルコンテンツ

芭蕉の金字塔に秘められた暗号を解平泉から尿前の関(しとまえのせき)へ─Part1 芭蕉念願の平泉訪問の前泊地・一関

芭蕉が「おくのほそ道」の旅で、大きな目的としていたのが、源義経終焉の地・平泉を訪ねること。平泉訪問を控えた芭蕉が、一関へたどり着いたのは前日の黄昏時でした。

芭蕉の足跡が街中に点在する一関市街


江戸後期に一関藩家老職を務めた沼田家の住宅を復元

岩手県の南端に位置する一関は、平安時代後期より交通の要衝として栄え、文字通り平泉への玄関口となった地。芭蕉が訪れた当時は、陸奥一関藩・初代藩主田村建顕(たむらたつあき)の領地でした。松島から石巻を経由した芭蕉は、登米(とめ)から馬の助けを借りながら一関に到着。翌日は一日かけて平泉を訪れ、その日も一関に宿をとりました。
現在、一ノ関駅西側にあたる市中心街は、落ち着いた佇まいを見せ、街のそこここに歴史的な建造物や石碑、郷土の偉人の像などが点在しています。

平泉行きのベースになった場所 二夜庵跡

「二夜庵跡」の説明板。芭蕉最北の宿でもある
磐井橋のたもとにも、説明板と曾良の日記の石碑が

早朝、東京を発った森村誠一師匠が、一ノ関駅に降り立ったのはお昼前。まずは腹ごしらえと向かったのは、地元の世嬉の一(せきのいち)酒造が営む「蔵元レストラン せきのいち」。途中、建造後300年の歴史を有する見事な屋敷「旧沼田家武家住宅」に立ち寄り、武士の暮らしぶりへ思いはせます。大正時代の酒蔵を活用した「酒の民俗文化博物館」などが集まる一角にあるレストランでは、一関の食を代表する餅料理を味わいました。餅で気力体力を充実させた森村師匠、「いわいの里ガイドの会」の菅原さんと合流し、最初に向かったのは、「松尾芭蕉二夜庵跡」。芭蕉が2泊したといわれる金森邸の跡です。

快晴の青空のもと芭蕉の道行きを追う 旧奥州街道

磐井川の堤に立つ森村師匠。橋を渡れば旧奥州街道だ
旧奥州街道沿いに立つ、「芭蕉道標」前にて

「二夜庵跡」を後に、芭蕉が歩いたといわれる道筋を目指します。まず、磐井橋をわたり、北上川の支流・磐井川の西側へ。橋上からは広々とした河川敷、その上空に澄んだ秋の空が広がり、のどかな景観に森村氏の表情もほころびます。川を渡りきり右手へ行く県道が、平泉へむかう芭蕉の歩いた旧奥州街道にあたります。少し進むと木製の「芭蕉道標」が道沿いに。道標に記されているように、芭蕉がここを通ったのは、元禄2年(1689)陰暦5月13日(陽暦6月29日)のこと。午前9時過ぎ出立した芭蕉は、快晴に恵まれました。季節・時刻に違いはあれど、森村師匠も同様の青空のもと、芭蕉の足跡に歩を重ねることができました。

森閑とした木立の間を延びる石段200段 配志和神社


200段の石段を登り「配志和神社」の社殿にたどり着く社殿へと続く石段の前にて。まわりは鬱蒼とした木立だ社殿前にある「梅が香りに のっと日の出る 山路かな」の句碑社務所近くにある「此の梅に 牛も初音と なきつべし」の句碑

このまま旧奥州街道から県道、国道4号線を進めば平泉ですが、平泉訪問は翌日のお楽しみ、ということで、県道から左手へ進み、創建は1900年前と伝えられる「配志和神社(はいしわじんじゃ)」へ。鬱蒼としげる木々の間に石段が延びています。「社殿までは200段」とガイドの菅原さんに聞き、同行者からは少々嘆息が漏れましたが、森村師匠はここでもマイペース。確かな足取りで頂上を目指します。清浄な空気で肺を清めるように息継ぎし登りきると、正面に拝殿が!樹齢1000年といわれる2本の杉(夫婦杉)を左右に配した社は、簡素な素木造ながら風雪に磨かれ堂々たる姿。しばし社殿に見入る森村師匠でした。なお、芭蕉が配志和神社へ立ち寄った記録はありませんが、後世に芭蕉句碑が2基立てられ現存します。もし芭蕉がこの地に立ち寄ったなら、このような句を詠んだだろう……という想定のもと、芭蕉の偉業をしのんで立てられたもので、句自体は「おくのほそ道」の句ではありません。

取材・撮影/P.M.A.トライアングル MAP作成/アットミクスト

「平泉から尿前の関へ─Part2」

森村誠一、謎の“奥の細道”をたどる
連続14回連載

Special Message from Seiichi Morimura

「芭蕉出立の地、深川を訪ねる」

「平泉から尿前の関へ─Part1」

「平泉から尿前の関へ─Part2」

「平泉から尿前の関へ─Part3」

「白河の関から那須、そして日光へ─Part1」

「白河の関から那須、そして日光へ─Part2」

「白河の関から那須、そして日光へ─Part3」

⑨ 「立石寺、最上川から日本海へ─Part1」
春更新予定

プロフィール

森村誠一

森村誠一(もりむら せいいち)

1933年埼玉県熊谷市生まれ。青山学院大学卒業後、10年間のホテルマン生活を経て作家活動に入る。『高層の死角』(第15回江戸川乱歩賞受賞)、『腐蝕の構造』(第26回日本推理作家協会賞受賞)、『人間の証明』(第3回角川小説賞受賞)『悪魔の飽食』『コールガール』など数多くのベストセラー作品を著し、本格派推理小説の世界で不動の地位を築く。作家活動40周年にあたる2003年には、第7回日本ミステリー文学大賞を受賞した。
近年は、新たな表現として“写真俳句”の創作、普及にも力を注いでいる。

http://www.morimuraseiichi.com/

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http://shashin-haiku.jp/

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