TOP » 森村誠一、謎の“奥の細道”をたどる⑥

旅の発見スペシャルコンテンツ

白河の関から那須、そして日光へ─Part1|古来より知られる歌枕の地みちのくへの玄関口・白河の関

「おくのほそ道」の冒頭でも「白河の関越えんと……」と記された白河。そこは関東と奥州の境にあたる地。いよいよみちのくへと旅立つ芭蕉にとって、思い入れの深い地でした。

芭蕉が三千里の旅心を定めた重要地点へ


現在、栃木県と福島県の県境となっている「境の明神」にて。大型トラックが行き交う道路脇にて現代ならではの光景を撮影中

執筆とともに多彩な活動を繰り広げる森村誠一師匠。「混声合唱組曲『悪魔の飽食』」の全国縦断コンサートもそのひとつ。著書「悪魔の飽食」を題材に、池辺晋一郎氏が作曲を手がけた合唱組曲を、日本各地の市民合唱団が歌うコンサートで、1995年から息の長い活動を続けています。

去る11月16日、19回目となるコンサートが、福島県白河市で行われました。当日、池辺氏とともに会場へ馳せ参じ、軽妙なトークを繰り広げた森村師匠。この機会をムダにすることなく、翌日から白河の関、那須、日光と、芭蕉とはちょうど逆に「おくのほそ道」を辿ることに。「白河の関」は、いよいよ奥州へと分け入る芭蕉が、その旅心を定めた地。森村師匠も、かねてより「おくのほそ道を語るうえで欠かせない場所」と語っていました。白河市街から白河の関をめざし、旅はスタートします。

深まる秋を城下町・白河で満喫|宗祇戻しの碑・南湖公園

中世、白川城主・結城宗廣が中興開山したという古刹・関川寺で、黄色の世界に染まる
「宗祇戻しの碑」前にて。関山街道と石川街道の分岐点にあたる場所にある

この日は、朝いちばんに白河市役所へ鈴木和夫市長を表敬訪問した森村師匠と一行。互いの芭蕉観を披露しあうなど、なごやかな時を過ごしました。市庁舎を出ると左手に、今が盛りの黄葉の銀杏が。そこは、隣接する関川寺(かんせんじ)。分厚く敷き詰められた銀杏の葉に秋の深まりを実感しました。

市庁舎をあとに、白河市産業部商工観光課の根本さん、白河市教育委員会の内野さんの先導のもと、最初に訪れたのは「宗祇戻しの碑(そうぎもどしのひ)」。室町末期の連歌師・宗祇の故事にちなむ碑と、「早苗にも我色黒き日数哉」ときざまれた芭蕉句碑があります。その後、日本最古の公園として知られる「南湖公園(なんここうえん)」へ。名君として今も地元で慕われ、造園家としても才能を発揮した松平定信が享和元年(1801)に造園。紅葉に染まる公園美を楽しみました。

古人も憧れた東北ロマンの発祥地|白河の関跡

「史跡白河関跡」の碑の前にて。散りゆく銀杏、紅葉が興趣をかきたてる
白河神社の拝殿。古くから戦勝を祈願する武将が参拝したことで知られる

続いて、本日のハイライトのひとつ、「白河の関跡(しらかわのせきあと)」へ。白河の関は、北方への守りを目的に平安初期に設けられ、平安中期には廃止されました。しかし、みちのくの玄関口として、多くの都人の歌心を誘い、歌枕の地として知られます。道路沿いから歩を進め、「史跡白河関跡」の碑の前に。後ろは鬱蒼とした杉木立です。森の中を進み、苔むした参道を上ると「白河神社」の社殿が現れます。左手には平兼盛、能因法師らの歌碑が。周辺には、関所の遺構である土塁跡、空濠跡などがあり、古関をしのばせます。

元禄2年(1689)陰暦4月20日(陽暦6月7日)、この地に立った芭蕉。2008年の今日、この地に立つ森村師匠。芭蕉が訪れた当時も関は跡形もありませんでしたが、彼は現地を訪れることで古人の風雅を心に映しました。同様に、森村師匠も時空をしばし越え、芭蕉の感慨に心を浸しました。

国を分ける峠に立つ2つの神社|境の明神


福島県側の明神。境内には芭蕉の「風流のはじめや奥の田うえ唄」と刻まれた句碑が栃木県側から見た県境栃木県側の明神。両側の明神が現存するのは全国的にも珍しい

白河市内からの道行きは、国道294号線(旧陸羽街道)の福島県と栃木県との県境に位置する「境の明神(さかいのみょうじん)」へとたどり着きました。白坂峠といわれるこの地は、まさに陸奥(福島県側)と下野(しもつけ・栃木県側)の境。峠道で国境をはさみ2つの神社が並び、2社をあわせて境の明神と呼び習わしています。古代より国境には男女の神を向かい合わせに祀り、境界の標識とするのが習わしでした。女神は玉津島明神、男神は住吉明神で、いずれも国境の神・和歌の神として知られます。女神は内(国を守る)、男神は外(外敵を防ぐ)という信仰から、陸奥、下野とも自分の側を「玉津島明神を祀る」、反対側を「住吉明神を祀る」としています。このため地図上では固有の名称はつけられていません。

国道に接するように位置する境の明神。その前を大型車両がスピードを上げて通り過ぎ境内の木々を揺らすと、はらはらと枯葉が舞い落ちます。芭蕉が決して目にすることができなかった情景に、今様の句境を見いだした森村師匠でした。

西行ゆかりの柳に風趣がきわまる|遊行柳

「遊行柳」の前にて。歌枕の地であり、謡曲『遊行柳』の舞台として知られるように
柳の木の下に立つ芭蕉句碑。周囲には西行や蕪村の碑なども点在

福島県に別れを告げ、森村師匠一行が向かった、この日最後の訪問地は「遊行柳(ゆぎょうやなぎ)」。古くからの歌枕の地で、芭蕉が尊敬する西行にゆかりの柳です。陰暦4月20日(陽暦6月7日)に遊行柳を訪ねた芭蕉。西行の「道のべに清水流るる柳かげ しばしとてこそ立ちどまりつれ」の歌を思い時のたつのを忘れたその目の前には、田植えが終わり苗が一面に並ぶ田が。そこで詠んだのが「田一枚植ゑて立ち去る柳かな」の一句。現在もまわりには田が広がり、初夏の光景が目に浮かびます。とはいえ、刈り入れも終わり、切り株がならぶ田園風景と柳の組合せにも、また違った風趣が漂っていました。

森村誠一、謎の“奥の細道”をたどる⑦ 「白河の関から那須、そして日光へ─Part2」

森村誠一、謎の“奥の細道”をたどる
連続14回連載

Special Message from Seiichi Morimura

「芭蕉出立の地、深川を訪ねる」

「平泉から尿前の関へ─Part1」

「平泉から尿前の関へ─Part2」

「平泉から尿前の関へ─Part3」

「白河の関から那須、そして日光へ─Part1」

「白河の関から那須、そして日光へ─Part2」

「白河の関から那須、そして日光へ─Part3」

⑨ 「立石寺、最上川から日本海へ─Part1」
春更新予定

プロフィール

森村誠一

森村誠一(もりむら せいいち)

1933年埼玉県熊谷市生まれ。青山学院大学卒業後、10年間のホテルマン生活を経て作家活動に入る。『高層の死角』(第15回江戸川乱歩賞受賞)、『腐蝕の構造』(第26回日本推理作家協会賞受賞)、『人間の証明』(第3回角川小説賞受賞)『悪魔の飽食』『コールガール』など数多くのベストセラー作品を著し、本格派推理小説の世界で不動の地位を築く。作家活動40周年にあたる2003年には、第7回日本ミステリー文学大賞を受賞した。
近年は、新たな表現として“写真俳句”の創作、普及にも力を注いでいる。

http://www.morimuraseiichi.com/

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http://shashin-haiku.jp/

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