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旅の発見 スペシャルコンテンツ

幕末から維新への時代を学ぶ

<滋賀&萩 編>

“日本のことをもっと学んでみたい”と思っている方に向け、全国各地で開催予定の体験と学びの講座『平成塾』。そのスタートとなるのが、滋賀と萩で開講する2つの講座だ。古来から幕末まで日本の政治・経済・文化の一翼を担ってきた滋賀、そして明治維新の大きな原動力となった萩。歴史が動いた地を訪れ、その街並みを歩き、さまざまな体験を通じて歴史を学ぶことにより、よりいっそう興味がふくらむはず。ここでは、滋賀と萩を語るうえで欠かすことのできない人物を取りあげ、彼らを作り上げたそれぞれの地の歴史・風土へと思いをはせてみよう。

滋賀・井伊直弼と開国150周年

井伊直弼(いいなおすけ)は、1815年(文化12年)10月29日に井伊家11代藩主直中の14男として生まれる。藩主の子でありながら、14番目という継承順位から考えると跡継ぎの可能性は非常に低かった。当時、家督を継がない子息はほかの大名家へ養子に行くか出家するのが通例。直弼にも養子の話があったが、なかなかまとまらず、国学・洋学をはじめとする学問から茶道や和歌などの伝統芸能、居合術など武術と幅広い分野に没頭し、いずれも飛びぬけた才能を示す。

それが急転するのは32歳のときのこと。13代目藩主を継承。幕府内でも大老として重責を担う地位へ登りつめる。「日米修好通商条約」や「安政の大獄」を経て倒幕派から「井伊の赤鬼」と恨み恐れられ、「桜田門外の変」にて暗殺される。享年46歳。

歴史上、彼ほど毀誉褒貶の激しい人物もまれである。日本を開国へと導き、開港により外国への門戸を開いた“開国の偉人”。江戸幕府の大老として強権をふるい、「安政の大獄」の歴史的大弾圧で恐れられた“悪の親玉”。……スポットの当て方でまったく異なる相貌を見せるところに、その人物的な奥行き、魅力の秘密があるようだ。

奇しくも本年は、彼が日米修好通商条約(1858年)を締結してから150年目にあたる。地元では本年より2年にわたる「井伊直弼と開国150年祭」を開催中。彼の足跡をたどるには、またとない機会といえる。


徳川四天王とうたわれ、幕府先鋒を務めるほどの実力藩・彦根藩の藩主でありながら、それにおぼれることなく欧米列強の実力を冷静に判断し、幕府の立て直しと列強に対抗できるだけの国力増強をその使命とした井伊直弼。武にとどまらず、広く社会を見据える目はどのように養われたのだろうか。どうやらその秘密は彦根藩のある地、近江にあるようだ。

古来、琵琶湖を抱くこの地は、奈良の都に近い淡水の湖を意味する「近つ淡海(あわうみ)」と呼ばれ、それが転化して近江と呼ばれるようになった。京都・奈良の都にも近く、今に至るまで交通の要衝である。

この地理的に独特なポジションにあることが、近江ならではの文化を産み育ててきた。その最たるものが、大阪、伊勢と並ぶ近江商人。鎌倉時代に端を発し、江戸の鎖国時代になると京都・大阪・江戸へと進出するほどに。商人にとって、天下の動静は商売を左右する大事な情報。各地に広がる商人のネットワークから、最新の情報が近江へと集まっていたことは想像に難くない。

また、江戸初期の陽明学者で、近江聖人と讃えられた中江藤樹。彼の身分の上下を超えた平等思想も近江の地に脈々と受け継がれてきた。

この学術文化と経済を重んじる近江の精神風土と彼生来の資質とが混じり合うことで、幕末から維新へと向かう時代に、この地にひとりの傑物が誕生したといえそうだ。

萩・吉田松陰と明治維新140周年の歴史

吉田松陰(よしだしょういん)は1830年(文政13年)8月4日、長州藩の下級武士である杉百合之助の次男として生まれる。11歳の時に藩主である毛利敬親に講義するなど、若い日々から頭角を現していた。21歳から江戸や水戸、長崎と遊学を続けるが、その最中にペリー提督が率いる艦隊が浦賀に来航。

いわゆる「黒船」に大きな衝撃を受けた松陰は海外渡航を決心し、1854年(嘉永7年)にペリーが再来航すると密航を企てる。夜間、下田に停泊する艦隊に小舟で乗り込むという大胆な試みは残念ながら失敗に終わり、故郷の萩に強制送還される。

獄中の身となった松陰だが、囚人相手に講義を行う。1年が経ち自宅謹慎が許された後、叔父・玉木文之進が開いた松下村塾で熱弁をふるうことに。松陰の信念は多くの才覚あふれる若者をひきつけ、高杉晋作、伊藤博文、山県有朋など明治維新を担う門下生たちを育てた。

しかし過激ともいえる論説が幕府の警戒を招き、1859年(安政6年)に松陰は再び獄中の人となる。世に言う「安政の大獄」である。同年10月27日、死罪を言い渡された松陰は「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂」を辞世の句として世を去る。享年30歳という若さであった。


井伊直弼の日米修好通商条約締結からわずか10年。1868年(慶応4年)9月8日、年号が明治に改元された。140年の節目となる今年、「明治維新胎動の地」萩では、各種の記念事業を実施。維新の精神は、この地に綿々と受け継がれている。

萩に城を持つ長州藩。この地が、なぜ明治維新の主役たちを次々と生んだのか。

かつて中国地方の大半を所領していた毛利氏だが、関ヶ原の戦いで敗れると、領地を大幅に削られ、日本海側の萩へと押し込められる。以後、徳川幕府に対する、複雑な思いが積もり重なった。一方、三方を海に囲まれていたため、必然的に外へ目を開かれ、外敵からの脅威にも自然と危機意識が高まった。この内と外の圧力が、長州藩を明治維新の推進役へと駆り立てていく。そして、その触媒となったのが、吉田松陰である。

一般に、多くの維新の立役者を育てた松下村塾に目が行きがちであるが、彼が塾で指導にあたったのはわずか2年に過ぎない。もし、彼が多大なる影響力を塾生に対して持っていたとすれば、それは彼が行動する人であった点ではないだろうか。21歳のときの九州遊学、佐久間象山の出合う江戸遊学、そして脱藩しての諸国視察。以後もペリー2度目の来航時の密航計画、老中・間部詮勝の暗殺計画……、常に行動をもって自らの思想を具体化させようとした吉田松陰。この常に戦い辞さずの精神こそ、若者たちを明治維新へと駆り立て、今もって多くの人々を引きつけてやまないのではないだろうか。

今回のプログラム

平成滋賀塾

滋賀の歴史、環境、近江商人についてを学ぶ8日間。室内で講義を受けるだけでなく、フィールドワークとして琵琶湖を湖上から調査をしたり、近江商人の町並みを尋ねる学習などもある。

受付を終了しました

平成 萩・維新塾

萩学を体験できるシニア向けのプログラム。萩の地を訪れ、歴史を感じるだけでなく、全国屈指の焼き物「萩焼」の体験や、城下町を着物で歩くなどの楽しい体験が豊富。さまざまな体験を通して、萩の人と文化に触れる4日間。

受付を終了しました

カリキュラム

平成滋賀塾
9/3(水)~09/10(水)
8日間

プログラム詳細・スケジュール(PDF)

平成 萩・維新塾
9/23(火)~9/26(金)
4日間

プログラム詳細・スケジュール(PDF)

このプログラムに参加するには…

平成滋賀塾

滋賀の歴史、環境、近江商人についてを学ぶ8日間。室内で講義を受けるだけでなく、フィールドワークとして琵琶湖を湖上から調査をしたり、近江商人の町並みを尋ねる学習などもある。

受付を終了しました

平成 萩・維新塾

萩学を体験できるシニア向けのプログラム。萩の地を訪れ、歴史を感じるだけでなく、全国屈指の焼き物「萩焼」の体験や、城下町を着物で歩くなどの楽しい体験が豊富。さまざまな体験を通して、萩の人と文化に触れる4日間。

受付を終了しました

取材・撮影/P.M.A.トライアングル